ZELDAのよもやま話

仕事とかゲームとか漫画とかアニメとか

謹賀新年

イメージ 1

※絵は本文と関係ありません


新年明けましておめでとうございます。昨年は本当に色々とあって大変な一年でしたが、皆様が御多幸でありますように祈念申し上げます。


去年、本ブログをまともに更新が出来なかったのには様々な事情と心境的な変化があったからなのですが、少なくとも多忙という点に於いては今年もあまり変わらなさそうな見通しです。流石にここまで放置するとカウンターも回っていないようなのでそろそろここを引き払うことも考えているのですが、生存をお伝えする場所がまったく無くなってしまうとそれはそれで困るので、今暫くは休止という形でもこちらをお借りし続けようと思っています。ツイッターやミクシでもアカウントを持ってますが、やはりブログの良さ、ブログでないと伝え切れないこともあると思っています。


少しだけ近況を書くと、今年はもしかしたら下期あたりに転勤になるかもしれません。両親の年齢を考えると今の仕事を辞めて地元に帰ったほうが良いのではないかと常日頃から考えているのですが、やはり仕事そのものが少なく再就職の目処が建てにくいのと、もし転勤になった場合はおそらく今よりも地元に近い場所になることが想定されるのでまだなんとか踏み止まっている状況です。

仕事そのものへの不満はやりがいなどを差し引いてあまり感じていないのですが、会社の為に一生懸命やっている人間の足を引っ張る事で自分の存在感をアピールしたがる屑のような人間はどこにでも居るもので、そういったどうでもいい人間関係で辟易している部分が潜在的、慢性的に腹の底に溜まっている状況が続いています。社内に誰も責任を取りたがらない風潮ばかりが広がっていて、なんとか会社を維持存続させていこうという気概が一部の方々からしか感じられない環境で自らを貫き通し、時には我を捨てて追従し、かつ自らを奮い立たせて従事し続けることは並大抵のことではないですが、一方でそんな環境に嫌気がさして様々な形で脱落していく人達を鑑みるに、こういう時、こういう環境だからこそ一線で踏み止まる度量が試されているのだとも思えます。何かと不況のせいにされがちな世情ではありますが、結局、最後は自らの心の持ちようなのだなと今更ながらに思うのです。

無論、苦しい環境で踏み止まることと親の面倒を見ることを同じベクトルで語ってはいけないのですけれどね。言い方は悪いですが安定してお金を稼ぎ続けられなければ親ともども野垂れ死にですから、今の仕事を続けることが親孝行なのかもしれませんし、貧しくなってもよいから親の傍らで命尽きるまで過ごすことのほうが大切なのかもしれない。せめて親にも自分自身にも無念を残さないように自らが選び取っていくしかない。こんなことはずっと前から判りきっていることなんですが、歳を経るごとに今の自分の選択が正しいのかを考える時間が増えていく感じです。


冗長になってしまったので近況はこれぐらいで。ついでにと言ってはなんですが、最近、脳裏に焼き付いて離れない言葉にこんなのがあります。


『自らの心の裡に(想定の)迷いが生じた時は、大抵悪い方が現実である』


その意は『皮算用は身を滅ぼす』と取れますが、『須らく期待をしてはいけない』という身も蓋も無い見方も出来ます。確かに期待しなければ失望することもない訳で、戒めとして以上の真実味を感じます。もちろん、期待はいけないけれど希望を持つ事は必要だと思うのですよ。ただ、期待と希望の線引きが非常に難しいですよね。人間はどうしても自分に甘い方へ流れがちですから。あまり新年を迎える言葉として適当でないとは思うのですが、一つの指針として捉えて頂ければ幸いです。