ZELDAのよもやま話

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駆け抜けた時代(2)

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(続き)

そんな相棒も走行距離が14万キロを超え、お別れの時がやってきました。度重なる過酷な長旅に、エンジンが悲鳴を上げたのです。乗れないことはないが、このまま何も手を打たないで乗り続けるとほどなくエンジンの寿命が訪れる。その頃は昔ながらのキャブ車から電子制御のEFIに移行する過渡期だったので、エンジンのオーバーホールをして乗り続けるかどうか選択を迫られ随分と迷ったものです。


結果、様々な事をトータルで考えて廃車にすることを自分で決めました。…いや、正確にはこのまま乗り続ける事が茨の道であるということに腰が引けてしまったのかもしれません。旧車を動かし続けるということは物凄くお金も手間もかかることなのです。


-自分で決めたことだから後悔はすまい- 


とある晩、気持ちの整理をつけるために最期のドライブに出かけました。ところが…物理的にはありえないことなのですが、その頃あまり調子が良くなかったエンジンがとても快調で、物言わぬ車に「まだまだいけるよ」と語りかけられているような気持ちになってしまい、気がついたら大粒の涙が溢れてきていました。

大の大人がみっともない話ですが、今みたいにオートマ車じゃなくて両手が塞がってたので涙を拭う事も出来ず、ずっと泣きながら、お別れする悲しさとこれまでの感謝を思いながら運転していました。


そして翌日の朝。

嘘のような話ですが…愛車のエンジンがかかることは二度とありませんでした。昨晩、気持ちの整理のつもりで行ったドライブが本当のお別れになったのです。大好きだったホンダの小さな車は冷たい鉄の塊に還り、数日後には廃車として町工場へ引き取られていきました。



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「ホンダがF1から撤退した」

それを聞いた時、やっぱり思い出したのは先に書いた愛車の事でした。スポーツ仕様でもなんでもない、雨ざらしのまま私に買われるのを待っていてくれたあの小さなホンダの中古車。そんなありふれたものでもこれだけのドラマがあるのです。私以外にも、大勢の方が残念に思うのと同時に「今まで夢をありがとう」と言いたいのではないでしょうか。


今はただ、共に駆け抜けた時代を思い起こしながら「おつかれさまでした」と心から申し上げたい次第です。



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つい最近、車を親に期限なしで貸して自分は原付を購入しました。通勤の足にと会社の友人に勧められての購入ですが当然の事ながら私生活でも乗りまわす訳でして。これからその原付とどんなドラマが待ち受けているのでしょうか。今から楽しみです。


(了)