ZELDAのよもやま話

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駆け抜けた時代(1)

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数日前にプレスリリースされたので今更ながらなのですが。



ホンダの福井社長は5日に本社で会見を行い、F1シリーズから08年をもって撤退することを発表されました。金融危機に端を発した本業の自動車事業の低迷で、年間500億円超ともいわれる“F1経費”が経営を圧迫するとの判断から苦渋の決断を下した、と各メディアでは伝えています。

F1チームは売却先を探すこととなった模様ですが、来秋の三重・鈴鹿サーキット(10月4日決勝)でのF1日本GPは開催する意向を示しているそうです。



…とまあ、ここまではニュースの受け売りなんですが。

私は生れてこの方いわゆる「ホンダ党」で、今回のニュースは非常に残念に思っています。ホンダといえば「バカ」が付くほど車好きな技術屋の集団って事で車好きの間では有名だったのです。

採算度外視のハイスペック仕様車を何度も世の中に送り出したり、今回話題に上がったように宣伝効果以上にお金がかかり過ぎるF1に敢えてチャレンジしたり、かと思えば環境問題にもいち早く取り組んで低公害車の限界に挑戦したり。業績ではトヨタに後れを取っても「町の自動車工の拘り」を連綿と受け継いでいる「HONDAスピリット」に対して幼いころから憧れを持つのは自然な事だったのだと思います。


初めてF1を観たのは中学生の時でした。その頃ホンダはエンジンをロータスというチームに供給していて、当時は知らなかったのですが日本人初のフルタイムF1ドライバー、中島悟氏がそのハンドルを握っていました。成績はといえばいつも中の上ぐらいで、トップにはなれないのだけれども一瞬の輝きを見せるような「魅せる」走りだったのをよく覚えています。

特に、ほぼすべてのドライバーが苦手とするレインコンディションを「得意」と言い切る中島氏の走りは、ホンダエンジンが絞り出す一瞬の輝きと相まって身震いするほどの格好良さでした。辛口で有名な海外のコメンテーターですら「雨が降ったときの中島氏とホンダエンジンの組み合わせは何が起こるか分からない」と大絶賛したほどです。

とにかくその走る姿、古館さんに「ホンダミュージック」と言わしめた甲高いエギゾーストノートにとことんまで惚れ込み、自称ホンダ党としての自分を確立していったのです。


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自分で稼いだお金で念願だったホンダ車を購入したのが大学生の頃でした。スポーツ仕様でも何でもない、中古で24万だった型遅れの小さなホンダ車。今だから断言出来ますが、この車は私の青春そのものでした。


乗り始めが走行距離5万キロで、しかも購入直前まで雨ざらしだった中古車です。細かなトラブルが出るのは当然でしたが、ネットもろくに普及していない時代だったので、独学で足りないところは高卒で整備工をやっていた親しい友人に教えてもらい、車の底に潜って油にまみれながらすべて自分でメンテナンスしたものです。

そのお陰かどうかは解りませんが、その車はかなりの無茶まで応えてくれました。前に日記で書いたかもしれませんが、実家から北海道まで往復2000キロ以上の旅を実現してくれたのがこの車なのです。この時すでに走行距離は8万キロを超えていましたが、途中でトラブルに見舞われることもなく無事に帰ってくることが出来ました。

北海道の旅は最も代表的なものですが、本当にここでは挙げきれないほど、この愛すべき相棒と色んな場所を旅してきました。大学生時代の大半の時間は車とともに過ごしてきた、といっても過言ではありません。前回の日記で「孤独」について書きましたけれど、もしかするとその考え方はこのころに培ったものなのかもしれません。当然、友人達と一緒に色んな所に出かけましたが動機が友人ありきではなく、あくまでもドライブありきだったのです。

(続く)