ZELDAのよもやま話

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木枯らしの季節

なんか急に冬がやってきたみたいで、寒さのせいか体の節々がギシギシします。加齢のせいが運動不足のせいか判りませんけれども。きっと両方ですね。年々身体が錆び付いていく気がして何かせつねぃです。来年からちょっと環境変わるからジム通いでも再開しようかなぁ。


唐突ですが2008年もあと1ヶ月ちょっとです。まだ振り返るには早いかもしれませんが、何かあっという間の1年でした。本当に色んな事があって、忙しさにかまけて自らを振り返る事なんて無かったけれど、ふと歩みを止めてみるとよくもまあ大過無く来られたものだと思います。無理、無茶、無謀を繰り返しても大丈夫な身体に産み育ててくれた両親に感謝。これまで自分を支えてくれた環境と全ての人々に感謝です。

何かおセンチになってしまいましたけれど、深く自らの道程を振り返る事ってなかなか無いですよね。こういう感傷じみたことは促されてするものでも無いですし。日記らしい日記なんて最近書いてなかったですし、たまにはこういう文章もいいでしょう。

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そろそろクリスマスやら年越しの準備のシーズンに差し掛かってきました。街の中は綺麗なイルミネーションや派手な呼び込みが増えてきていて「あー、もう冬というか年末なんだよなー」という思いが更に募ってきます。ここ数年来、私生活ではずっと一人だったのでこういうイベントには関わることがまったくありませんでした。無理にケーキとか買ってきて一人で楽しむというのも何か変ですし、心からイベントの楽しさを分かち合う友人も近くにはいないですし。

こう書いてしまうと「なんて寂しい人生か」と思われそうですが、本人は至って何とも思っておりません。一人でいることの孤独感と心地良さをしっかりと楽しんでいます。人付き合いという意味では会社内の付き合いだけでも十分ですし、今から新たに「無理に」人付き合いを作る自由な時間もありません。私は「広く浅く」というのが苦手なので、表面だけの付き合いであれば本当にそこそこで済ませてしまうきらいがあるのです。そういう自分自身に真正面から向き合うのであるならば、いっそ付き合いを増やさないほうが良い、という考えですね。

私はこういう協調性の無い考え方なのでずっと両親にも心配を掛けていますが、変なところでタフ…と言ってしまっていいんでしょうかね。仕事に極端なストレスを感じ続けている分、心の一番柔らかい部分が麻痺してしまっているのかもしれません。今更アイデンティティに悩むことも無いですし、一人だからといって別に煮詰まることもない。人はそれを見て「偏屈な変わり者」と憐れむかもしれませんが、そんな私から見れば多くの方は無理をしているように思えて仕方が無いです。

最低限の近所付き合いとか親戚付き合いなんかは理解できますし大切にすべきだと思うのですが、無闇に友達付き合いを広げたほうがいいという考え方にはどうにも理解が持てません。それは単に、自らのアイデンティティを保つためだけの行動なのではないかと思うのです。一人でいることに自信が持てなくて不安だから群れようとする。群れることが悪いのではないのですけれど、その自らの行動の根幹にあるものと向き合った上でそういう行動を起こしている人が果たしてどれだけ存在するのでしょうか。

ライドウの「あのお方」やJOJOのディオ様の言葉ではないですが、人が起こす行動の「きっかけ」は色々あっても、大抵の場合は「己が内の不安」が行動のきっかけだったりするものなのですよね。他人のあれこれを心配する前に己の中の「不安」を看破し、それを克服するためにはどうすればよいか本当に真剣に悩めばよいのです。存在意義か欲しいのならば、広く浅いだけの人付き合いなどといったうつろいやすいものではなく、もっと確たるもので持てば良いだけのこと。まあ「これ」という答えが無いのでそれが難しいのですけれども。


人は一人では生きていけないけれど、一人でいると楽な事も沢山あります。多くの人が思っているほど孤独というのは辛い事ばかりでもないのですよ、ということを言いたかったのでしょうかね。例によって纏まりがありませんが…。人によるとは思うのですが、色んなことに迷ったり悩んだり、理由の判らない不安に苛まされるのであれば、何も無いところから己が何者であるのかを再確認するのが一番シンプルでいいのかな、とか。

胸の中を木枯らしが吹き抜けていく感覚が切ない季節ですけれど、様々なしがらみを脱ぎ捨てて裸一貫の「真の独り」になって、初めて見えてくるかけがえの無い大切なものもあります。これを読んで下さっている皆さんも慌しい毎日を過ごされているかと思いますが、たまには自らの行動の「きっかけ」を振り返り、気が向いたら孤独を楽しんでみて下さい。きっと新しい発見があると思います。